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それから6年間、ツァイスとアッベは光学製品の設計製作に科学的基礎を与える作業にうちこみました。それは困難で後戻りのできない道のりでした。広大な範囲にわたる理論的研究、そして実験。その中で最適な方法を模索し、それに基づいて装置を試作して検証を繰り返していきました。そしてついに1869年、研究用の新しい照明装置(すべての部品を純粋に理論的見地から作成)を完成させました。その装置は瞬く間に広く普及していったのです。
そしていよいよブレークスルーの時を迎えました。1872年、アッベは顕微鏡の結像に関する波動理論を構築し、後にアッベの公式の代名詞となる正弦条件に関する式をまとめました。これこそカールツァイス社の歴史、いや顕微鏡史にとって画期的な出来事になりました。光学研究と数学的操作に基づいて設計された顕微鏡対物レンズが初めて17種類(うち3種は水浸式)発売されました。
アッベはこんな言葉を残しました「Based on a precise study of the materials used, the designs concerned are specified by computation to the last detail - every curvature, every thickness, every aperture of a lens - so that any groping around (Abbe might also have said, any trial and error approach) is excluded. 使用材料の厳密な研究に基づき、レンズの曲率・厚さ・開口数といった細部までを計算によって指定することが可能となりました。これにより、これまで行われてきた数々の手探りの作業(アッベはチャレンジと言うかもしれませんが)を一切排除することができるようになりました。
アッベの発見は顕微鏡設計に革命をもたらしました。イエナで組み立てられた新型顕微鏡は、その品質の高さと革新的技術で世界中にツァイスの名を広めました。
これは余談ですが、ツァイスは品質に関して非常に厳格でした。出荷前の厳しい検査に合格しなかった数々の顕微鏡を、自らハンマーで粉々に壊していったのです。いささかショッキングな方法ではありますが、これが高い品質保証となったのかもしれません。
アッベの発見は、決められた仕様に従って顕微鏡対物レンズを設計するための理論であることに他なりません。しかし、適切な材料がないため、その理論はさまざまな点で日の目を見ませんでした。むしろ、ユーザーの顕微鏡像の品質に対する要求が増え、それに反比例するように開発は困難になっていきました。なぜなら、高品質のレンズ設計にふさわしい分散特性を持つガラスがなかったからです。その時、今やパートナーとなっているツァイスとアッベの前に再び新たな壁(アッベの仕様に適した新しい光学ガラスを見つけるということ)が立ちはだかりました。しかし、その壁の向こうには新たな成功への道が待っていたのです。
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